ちょうどカウンターを拭いていたお姉さんと目が合った。夜空を思わせる着物をたすき掛けにしている。肩までの短い髪がさらりと揺れる。頭の上には三角巾。背中には鈍色の煙突が伸びている。
……煙突?
「あ、いえ、ボクはお酒は飲めないので……」
「え、安い」
にっこり笑って招き入れられる。
なんとも場違いさを覚えつつも、まるで短冊か御札のように、壁にペタペタと貼られたメニューを眺める。
お酒は飲めないので、ご飯代わりになりそうなものというと……。
『魚肉コロッケ』
魚のすり身のコロッケだろう。牛肉の代用として広まったらしいが、いまでは定番だ。
『厚焼き卵』
『目玉焼き』
まだまだ高級品の卵料理。お値段はかなり控えめで、これで利益が出ているか心配になる。目玉焼きは厚焼きに手が出ない人のためだろうか。気配りが行き届いている。
『たぬきうどん』
麺類もある。店内に充満している出汁の香り。この出汁をひたひたにかけて啜れば、それはもう幸せだろう。
『本日の目玉!』
これは、いったいなんだろう?
「あの」
「本日の目玉ってなんですか? お値段も手頃ですが」
「ええ、どんなお勧めの料理なのかなと」
「え」
「名前通りの料理なんですか?」
「もしかして、こっちの目玉焼きっていうのは……」
「あ、いや、わかりました」
「あの、じゃあもしかして、たぬきうどんっていうのは」
「あっ、もういいです」
一気に不安が押し寄せてきたが、気を取り直してもういちどメニューを眺める。
「じゃあ……ミンチ天ぷらと鰯バター焼きください。白ご飯も」
てきぱきと準備して、ほとんど待つ暇も無く料理が並べられる。ご飯と一緒に、お新香とお味噌汁も一緒に出てきた。手を合わせて口に運ぶ。
「……おいしい」
見た目はなんてことない料理だけど、しみじみおいしい。どれも食べ慣れた味だけど、なんとも新鮮な驚きだ。
男性客「人形が作ったとは思えないだろ」
よっぽど驚いていたのだろう、横にいた赤ら顔の男が、にっこりと笑顔を浮かべる。
「……人形」
「そうだ! あの、あなたはっ……」
ボクは改めて、確認の声を上げた。
くるりと背中を見せてくれる。
鈍色の背嚢。わずかにたなびく蒸気は、
自律人形の証だ。
「……人形って味がわかるんですか?」
「ですよね。それなのにこんなにおいしい……」
にっこりと微笑みを浮かべる。
そして、きら星のような瞳を向けて、ぱちりとウィンクした。
「……普通ですね」
くすくす笑っている。その間も注文が入って、てきぱきと料理を準備していた。
「えっ……なぜそれを?」
「……あ」
カウンターの傍らに置いた帽子。
そこには黒猫亭の刺繍が入っている。
「そうなんです、黒猫亭で厨房係として働き始めて……」
「やりがいはあるんですが、厨房係として壁にぶつかってしまったところもあって……」
箒星は人形ながら、おっとりとした空気感を持っていて、ついつい弱音をこぼしてしまう。
「あの、箒星さん」
「もっと料理が美味くなるには、どうすればいいでしょうか?」
わかりきったことと言いたげに、箒星さんは笑顔を覗かせた。