とっぷり日が暮れた。
空模様はやはり崩れていて、先程からしとしとと細雨が振り始めている。
ボクがやってきたのは、箒星がお手伝いをしている『ヤマエ酒店』だ。
雨のせいか、店内にひとはまばら。
カウンターには、ボクとレーツェルさんが並んで座っていた。
くい、とお猪口を傾ける。
中に入っているのは高純度の鶏油で、人形に害は無いらしいけど。
宇佐美「ま、まあまあ、レーツェルさん」
宇佐美「じゃあ、どうぞ」
お銚子からどろっとした琥珀色の液体を注いでいく。
また一息に、きゅーっと飲み干していた。
宇佐美「やれやれ……」
レーツェルさんはカウンターに突っ伏して泣き濡れている。
鴉羽さんに頼んで、前オーナーを通して連絡してもらったのだ。
昼間は警護任務があるらしく、この時間なら会えるとの返答だったので、ここヤマエ酒店で落ち合うことにしたのだ。
箒星「レーちゃん、あまり飲むと燃焼温度が上がっちゃいますよー」
おいおいと泣き始めるレーツェル。
おしぼりで何度拭っても、とめどなく溢れてくる。
宇佐美「その……そう言ってました」
宇佐美「え……そんなに?」
箒星「こっそり話を盛るのはいけないと思いますねぇ」
箒星「お水持ってきましたよ。ほら、冷却液が切れる前に」
氷の入ったお冷をふたつ出してくれる。
喉を潤して、改めて尋ねてみる。
宇佐美「それって、やっぱり……灰桜が壊れているからですか?」
箒星「そうですね……灰桜の論理機関は一部破損しているみたいでして」
宇佐美「でも、ボクや鴉羽さん、月下さんのことはしっかり憶えていますよ?」
宇佐美「そっくり消えてしまう……」
箒星「でもレーちゃん、それは覚悟の上でローベリアに帰ったんじゃ?」
宇佐美「そ、それは……板挟みですね」
レーツェルさんの哀しみはよく分かる。
忘れられるのは本当に辛い。自分という存在が最初からいなかったんじゃないか、そう思えてしまうからだ。
ましてやそれが大切な人となると……。
宇佐美「もしかして……だから灰桜に会わなかったんですか?」
宇佐美「忘れられていたら、辛いから……だから」
宇佐美「……あの、レーツェルさん」
宇佐美「灰桜も、なにもかも忘れたわけじゃないと思うんです」
宇佐美「一瞬考え込んでました。だから記憶のどこかに引っかかっていると思うんです。なにかきっかけがあれば……」
宇佐美「確証はないですけれど……」
それは、ボクがただそう信じたいだけかもしれない。
でも、きっといつかすべて思い出して、苦手な歌も克服して、そして……
箒星「あら?」
遠くからけたたましいベルの音が聞こえてきた。
お店の電話が鳴っている。
箒星「あ、私出ますねぇ」
酒店の奥に声をかけて、箒星さんが受話器を取った。
箒星「はい、ヤマエ……あら、からちゃん?」
宇佐美「え、鴉羽さん?」
箒星「はい、はい………ええっ!? 灰ちゃんが?」
箒星「わかりました、もうお店も終わりますので……はい、はい」
険しい表情で受話器を置く。
箒星「灰ちゃんがこっちに向かっているそうです」
箒星「うささんに傘を届けてくると、そう書き置きがしてあったそうです」
宇佐美「心配かけちゃったかな……」
箒星「いえ、問題はそれだけではないんです」
宇佐美「と、いうと?」
箒星「暴走人形の“銀太郎“……いま五区で暴れているそうです。街区が閉鎖されたとか」
宇佐美「えっ……」
箒星「もしかすると、灰ちゃん……遭遇してしまうかも……」
がたりと椅子を蹴って立ち上がる。
踵を返すと、一目散に店外へ。水たまりを蹴りながら一目散に駆けていく。
宇佐美「あっ、待って……」
箒星「レーちゃん……もうっ」
箒星さんもカウンターの中から出てくる。
宇佐美「追いかけましょうっ」
箒星「ええっ」