プリマドール・アンコール
01-05 喫茶・黒猫亭(2)

 開店前の黒猫亭は広々としていて、静寂が漂っている。
 広々としたカウンターと、規則正しく並べられたテーブル。
 天板はぴかぴかに磨き上げられており、壁に掲げられたフィラメント電球の明かりを反射している。
 奥には可愛らしいアップライトピアノが一台。
 ベルベットのカバーから、ちらりとチェリーブラウンの鏡面が覗いている。



 カップとソーサーが、かちりと鳴る。
 鴉羽さんが淹れ立ての紅茶を、ポットから注いでくれた。
 ふわりと、林檎のような爽やかな香りが鼻をくすぐる。

「すみません、ご馳走になっちゃって……」

 ちらりと厨房のほうに視線を向ける。
 入り口からわずかに灰桜の姿が覗いていて、ブレッドナイフを手に、せっせと食パンを切り分けていた。

「ははは……聞きました?」
「ボクと一緒です」

 ティースプーンにきっちり3杯の砂糖を注いで、おいしい紅茶を味わった。

「そんな、お構いなく」

 くすりと笑って、エプロンのリボンを揺らす。
 アップライトピアノの前を通り過ぎて、その奥にある蓄音機の前に立つ。レコードに針を落とすと、ややあってから、ちょっともの哀しいような、ゆったりしたフルートの音色が響いていた。

「……このピアノ、誰か弾くんですか?」
「生の伴奏で、歌でも歌うとさぞかし楽しいでしょうねえ」

 そうやって水を向けるが、鴉羽はなんとも微妙な表情。
 じっとピアノを見つめて、懐かしむような、哀しむような、そんな顔を浮かべている。
「いまは?」

 そういえば店内に入るとき、視界の端に貼り紙が写ったような気がする。あれが厨房係募集の求人だったのか。

灰桜「うささーーーーーん!」

 ぴょこぴょこと厨房から、灰桜が跳ね出てくる。

灰桜「サンドイッチも召し上がってくださいっ」
「いやいや、そこまでは頼んでないよ」

 ハムとチーズが挟まれたシンプルなサンドイッチが盛り付けられている。
 その隣では、にこにこと笑う灰桜。

「じゃあ……いただきます」

 小さく口を開けて、ぱくりと頬張る。

「………っ」
灰桜「みゅっ、泣いてますっ」

 甘いものには目が無いが、ツンと来る辛さはすこし苦手だ。
 でも涙がにじむのは、それだけが理由じゃ無い。

「でも、おいしいよ。とっても」

 華やかな紅茶の香りと、ちょっぴり香辛料の利いた料理。
 穏やかな音楽と、胸に沈み込むような笑顔。
 この空間が、なんとも居心地がよかった。

「あの、鴉羽さん」

 だからボクは、灰桜の先輩人形に改めて声をかけた。

「ボクをここで雇ってもらえませんか?」


執筆:丘野塔也 挿絵:まろやか CV:楠木ともり(鴉羽)
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