ふかふかのパンはまるで太陽だ。
青い空にかざして浮かべてみると、黄金色の表皮から光が差すように神々しい。目の前のあんぱんは二つに割っているからまん丸では無いけれど、それは些細なこと。『目をつぶる』というのはこういうときにこそ使う慣用句だろう。
「いただきまーす」
そんなわけで、ボクはぱくっと口を開けて、あんぱんの半弧をかじった。
皮は信じられないぐらい薄くて、でもしっかりと小麦を主張してくる。
そして太陽核たるあんこはどっしりと存在感を放ち、心地よい重みと共に喉を落ちていく。全身に甘味が漲るのが分かる。
おいしい。
ちょっぴり涙ぐむ程に。
隣で生き別れになったあんぱんを抱いて、感心したような声を漏らす。
山の手城を囲むお堀。水面を望む小さなベンチにボクたちは腰掛けている。
背後には満開の桜並木。
路面電車が二度ベルを鳴らして、滑らかにその深緑色の車体を進ませていた。
「灰桜、食べないの?」
ぴょんとくすんだ桜色の髪を揺らして、大げさに声を上げる。
「本当においしいんだよ。ほら、遠慮せずに」
ぱくりと、同じようにあんぱんをかじる。
小さな口をめいいっぱい開けて。
「食べてから喋ったほうがいいと思うよ」
「あと、ほっぺたにあんこついてる」
「ああ、袖で拭いたらせっかくの着物が……」
「そ、そう……よかった」
拭き残したあんこを頬に残して、灰桜は声をあげた。
「人形ってあんぱん食べられるんだね」
瑠璃色の瞳をくりくりと向けてくる。
「いや、ボクに聞かれても……普段はなにを食べているの?」
きっと大事なことなので、しっかり覚えているのだろう。
胸を張って、自信満々に説明してくれた。
「残念ながら」
「そもそも固形物だしね」
じっと名残惜しそうにあんぱんを見つめながら、なにやら唸っている。
「つまり、お腹に入れば一緒ってことかな」
「あ、食べた」
ぱくりとかぶりついている。
ランドセルから伸びた煙突から、ぽっと煙が吹き出す。
カラメルのような、甘い香りがした。
じっとボクのことを見つめる。
呼び名を探しているのか、ちょっと考え込むように首を傾げた。
「……宇佐美っていうんだ。よろしく」
「ありがと。前の職場ではうささんって呼ばれてたよ」
「もちろん構わないよ」
「うん、さっき聞いたかな」
「どうも、そうらしいね」
「子供の頃、大陸にいたんだ。戦時中はたくさん人形がいたし、それに……」
「友達の人形も、たくさんいたんだよ」
2人で他愛のない話をしながら、もぐもぐとあんぱんを頬張る。
春のうららかさの下、なんともゆったりした時間が流れる。
なんだか、ひどく懐かしいような気がした。
「ところで……」
ちょっぴりお腹が膨れたところで、抱いていた疑問を口にする。
「灰桜は、パン屋で働いているの?」
きょとんとした様子で首を傾げている。
「いや、あんぱんを売っていたから」
なにやら深い事情があるらしい。
ボクは居住まいを正すと、彼女の声に耳を傾けようとした。
彼女がここにいたるまで、それはそれは大きな波乱があったのだろうか……?