プリマドール・アンコール
01-09 桜とカフェ(1)

 沸き立つケトルを手に取ると、そっと優しくドリッパーに湯を落とす。
 細い注ぎ口からじゅっという音と共に蒸気が昇る。挽き立ての珈琲豆がふわりと膨らんで、香ばしい匂いが厨房中に拡がった。
 自分で言うのもなんだけど、なかなか手慣れてきたと思う。
 コーヒーカップに移して試飲してみる。ざらめ糖は大さじ2杯。どっしりとしたコクと甘さが感じられて、なんとも落ち着く味わいだった。
 開け放たれた小窓からは、春の匂いが漂ってくる。裏手にある小さな桜も満開を迎えており、ごくさりげなくその枝を覗かせて、小ぶりの花びらを揺らせている。


 珈琲を傾けながら外を眺めていると、灰桜の声。
 片手には砂糖壺やカトラリーの入ったバスケット。開店前にテーブルウェアを整えてくれていたのだ。

 「それって桃色だから?」
 「なるほどねぇ」

 自律人形は油で動く。いちごクリームも燃料になるのかもしれない。

 「桜は食べられるんだよ?」
 「花びらも食べられるし、なんだったら葉っぱも。バニラみたいな甘い香りがするんだよ」

 目を丸くして驚いている。


 バスケットを片付けている灰桜。
 そのまま裏口から、意気揚々と出かけていった。
 小窓から覗く桜は、さっきよりもゆさゆさと揺れている……。

 「灰桜、食べちゃダメだよ!」

 慌てて後を追うと、声を上げた。


 時既におそし。
 灰桜の口内には、葉っぱと花房が詰め込まれていた。

 「そのまま食べられないんだよ……」

 えぐえぐしながらえづいている。
 目尻には涙まで滲んでいる。実際には冷却液らしいけれど。

 「ほら、吐いて。毒もあるよ」
 涙目になって、青くなっている灰桜。
 とにかく背中をさすってやろうと思ったが、手に触れたのは冷たい背嚢の感触。消化器官には違いないので、一応なでなでしておいた。

※       ※       ※

 「むむむ……」

 鏡の前で、むにむにとほっぺたを触っている鴉羽。

 「……えへ」

 すこし首を傾げて、にっこりと破顔。

 「うん、笑顔よし」

 くるりとスカートを踊らせて、こちらに向き直る。

 「じゃあ、今日も一日頑張っていきましょうっ!」

 鴉羽の明るい声がフロアに響く。

 「はいっ!」

 続いて、灰桜の元気な声。

 「了解であります」

 月下はいつものクールな様子。

 「食事の仕込みもバッチリだよ」

 エプロンをきゅっと締め直すと、気持ちも新たになる。

 「喫茶黒猫亭、開店します!」

 さっそくドアベルの音が響く。
 今日一番目のご来客だ。

 口元に手を添えると、ぺっぺと吐き出させる。


 自立人形と、そしてそこに混じったボクの声が出迎えていた。

※       ※       ※

 それから数日が経った。

 「朝は多少忙しいんだけどなぁ……」

 きぃ、と丸椅子が軋んだ音を立てる。
 厨房の中、若干時間を持て余して、小窓からフロアを覗き込む。
 客足はまばらだ。
 数日間勤務して分かったことだが、黒猫亭は基本的に常連客に支えられている。
 例えばいま窓際で、本を読んでいる銀縁眼鏡の紳士。
 黒い背広に、黒いネクタイ。傾けるのはいつもブラックコーヒー。
 昨日もいたし、一昨日もいたし、何だったらずっとこの時間あの場所にいる気がする。
 そういうお客さんは他にもいて、ぱっと思いつく顔がいくつもある。
 でも、それ以外の一見さんがいるかというと、あまり記憶にない。

 「おっと、もうこんな時間か」

 フロアの壁影時計が、ぼーんぼーんと低い音を立てる。

 「ということは、きっと……」

 ボクの手は、自然と冷蔵庫に伸びる。
 ひんやりとした冷気を感じながら氷の塊を取り出すと、アイスピックで砕き始める。
 小さな氷を2~3個グラスに入れる。くるくると回すと、たちまちグラスが汗をかきはじめた。


 月下が小窓から、注文伝票を差し出す。

 「はいよ」

 やっぱりだ。
 ちらりとフロアを覗くと、新聞を片手に持った女性が席に腰をおろしている。
 フェルトの帽子にパンツスタイル。彼女も常連客の一人だ。記者さんか、はたまた弁理士さんか。仕事が終わるこの時間、決まってティーパンチを頼むのだ。
 今朝からりんご、レモン、みかんを漬け込んでおいた紅茶ポットを取り出す。改めてグラスを氷でいっぱいにして、琥珀色を半ばまで。ソーダを注意深く注いで、最後に飾りのレモンを……。

 「……そうだ」

 ふと、あることを思いつく。
 冷蔵庫を確認すると、ちょうど食べごろだった。


 ぺこりとお辞儀をして、月下が給仕をする。
 反応が気になって、厨房から顔を出して、そんな様子を眺めていた。


 コースターの上に、そっとグラスを置く。
 フロア接客は基本的に月下と灰桜のお仕事だ。基本的に月下は仕事が確実で、間違いというものがない。
 もっとも愛想はないので、ニコニコしている灰桜の存在は貴重だったりする。いまも壁際に控えて、レコードの音に合わせて揺れていた。こっちに気づいて、小さく手を振ってくれる。くすんだ桜色の髪が揺れる。

 「あら?」

 新聞から目を外すと、早速女性は気づいた。

 「いつもと違うのね」
 「春だから?」
 「そう、ありがとう」

 くすりと微笑むとグラスを覗き込んでいる。

 「桜の花びらなんて、洒落ているわね」

 甘いティーパンチの中。炭酸の泡をすこしまとわせて、桜の花房が浮いていた。
 薄くリップを引いた唇を、ストローに近づけると、そして……。


 「ぶっ!」

 どどどどどど、と灰桜が駆け寄っていた。
 思わずむせ返っている女性客。


 さすさすと背中を擦っている。


 レジカウンターで帳簿をつけていた鴉羽が、騒ぎを聞きつけて飛んでくる。


 ちょっとした騒動になっている。
 我関せずといった様子で、とことこと月下がやってくる。


 ちらり、と横目を女性客の方へ。

 「ごめん、ボクのせいで……説明してくるよ、うん……」

執筆:丘野塔也 挿絵:まろやか
 CV:和氣あず未(灰桜) 楠木ともり(鴉羽) 富田美憂(月下)
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